Cedep 発達保育実践政策学センター

第19回 発達保育実践政策学セミナー

日時
2016年12月7日 (水) 18:00〜20:00
場所
東京大学教育学部 赤門総合研究棟A210
講演

「ヒトはなぜ眠るのか」

井上 昌次郎(東京医科歯科大学名誉教授)

井上昌次郎先生からは、国際的な睡眠研究の第一人者として、睡眠研究を通じてこれまで明らかにされたことを、4つのトピック(系統発生、個体発生、睡眠の役割、多様性)に基づきお話しいただいた。

はじめに

・睡眠研究の広がり

配布資料「睡眠研究の進歩」(公衆衛生75:751-754, 2011)に詳細がまとめられている。
睡眠学は、基礎的研究に留まらず、例えば寝具の開発など、経済活動に関係する分野にも広がりを見せている。

・睡眠と脳

睡眠は全身に表現されるが脳内現象である。つまり、睡眠は脳の問題であり、脳が脳を眠らせていると言える。睡眠にはレム睡眠、ノンレム睡眠の2種類があり、下位の脳幹(中脳・後脳・髄脳)がレム睡眠、上位の脳幹(間脳)がノンレム睡眠に関り、大脳を眠らせたり覚醒させたりしている。

長時間眠らないと最も大きな影響を受けるのは大脳皮質細胞である。

マリア・マナセーナの研究
犬を不眠にさせたところ最も大きな変化があったのは脳細胞であった。

アンリ・ピエロンの研究
269時間眠らせなかった犬の大脳の細胞が壊れたり死んだりしていた。

1.なぜ睡眠欲求が出現するのか~系統発生から考える~

・”高等”な動物たちはなぜ眠るのか、睡眠はなぜ「快」なのか(睡眠欲求があるのか)?

生物学的な解釈は、睡眠は摂食や生殖と同様、本能(生得)行動であるためである。睡眠は、他の本能行動と同様、生命の維持に必須である一方で、命の危険を伴う行動でもある。快ゆえに行動を行うわけではなく、危険な行動を達成できた生物学的報酬として快が得られるのであろう。

・睡眠進化の多様性

我々の眠りでは、筋肉の緊張が少し残るノンレム睡眠と、筋肉がすっかり弛緩するレム睡眠がよく発達・よく分化している。系統発生的には3種類の眠り(原始睡眠・中間睡眠・真睡眠)があり、魚類・両生類では原始睡眠がさらに3種類に分かれている。

・大脳の発達と睡眠

大脳の発達した種ほど、脳波などで分類できるきちんとした睡眠をとるが、これは、「眠らせる脳(脳幹)」が、大脳を「眠らせる・起こす」システムを発達させたためである。

2.いつ睡眠が出現するのか~個体発生から考える~

・眠りは個体発生の過程でいつ生体に宿るのか。その役割は何か。

レム睡眠系が神経回路を確立するメカニズムには、生物時計の発達が関与している。
生後7週ごろから生物時計の体内リズム(約25時間周期)が睡眠と覚醒を支配するようになり、生後16週ごろから昼夜リズム(24時間周期)に同調するようになる。
大脳が発達してきた胎児では、動睡眠(のちのレム睡眠)と呼ばれる状態が初めに登場し、大脳の覚醒を促進すると考えられる。大脳が覚醒できるようになると第2の眠りとして静睡眠(のちのノンレム睡眠)が現れる。誕生時には、覚醒:動睡眠:静睡眠が凡そ同じ割合で生じる。

3.なぜ2種類の眠りがあるのか~それぞれの役割から考える~

・2種類の眠りの相反・相補関係

ノンレム睡眠中、脳の温度・脳血流・ブドウ糖代謝・皮質ニューロン活動・意識水準いずれも低くなる(沈静化状態)。一方、レム睡眠中には上と反対のことが生じる(活性化状態)。

・睡眠の役割

レム睡眠は脳をつくる・育てる一方、ノンレム睡眠は脳を守り・修復すると考えられる。
睡眠には、覚醒中に生じた脳内の”毒素”を取り除くような働きもある。大脳には休息と修復が必要であるため、ノンレム睡眠がこれを担っている。それゆえ、脳をよりよく活動させるためには、睡眠が必要である。

・睡眠調節の基本法則

2つのシステムが関わっている。

(1)概日リズム:生物時計による活動期と休息期の配分

(2)ホメオスタシス:適切な睡眠の量と質

起きていた時間が長いほど深い睡眠が生じる。ボルベイは(1)と(2)を組み合わせた2過程モデルを提唱した。

4.なぜ睡眠に多様性があるのか~社会規則から考える~

・睡眠時間の社会規則

「睡眠はかくあるべし」という社会規則は睡眠を修飾している。過去の書物にも、守るべき睡眠時間に関する記述があり、睡眠は無駄であるという考えが記されている一方で、肯定的な睡眠観も見受けられる。

・短眠者・長眠者の個人差

1日の睡眠時間は7~8時間をピークとしてほぼ正規分布している。死亡率との関連を見ると、長すぎても・短すぎても高いという結果が認められる。

・睡眠時間の比較

日本は他国と比べて短眠国であり、年を追うごとに短くなっている。

・睡眠の多様性

睡眠は脳を備える”高等”動物の生命活動を支える必須機能のひとつであり、生存戦略としてあらゆる状況に柔軟に適応できる可塑性・可変性のもとに進化してきたと考えられる。つまり多様性は睡眠の本質的な特性である。

報告:高橋翠(発達保育実践政策学センター特任助教)

参加者の声

日本の睡眠研究界の第一人者である井上昌次郎先生御本人から、「ヒトはなぜ眠るのか」というテーマでご講演いただき、睡眠研究の大きな流れを大変分かりやすく説明していただきました。先生の御研究の一端に触れ、新たな気づきを与えていただきました。また、先生のあたたかな人柄に触れ、自身の研究活動への励ましもいただき、大変感慨深い、貴重な機会となりました。

「社会環境の変化に伴う子どもの発達の阻害と求められる対応」

武田 信子(武蔵大学人文学部)

武田信子先生は、臨床心理士として臨床の現場において、現実の中で苦しんでいる子どもたちと出会ってこられた。その中で、15年後、20年後を見据えて子どもたちを育てていくこと、養育環境をどう整えていくのかを考えていくことの必要性を認識されてきた。親、学校、地域の大人がそれぞれに違う思いをもって子どもを育てていくのではなく、0歳から18歳までの育ちをトータルに考えていかなければならない。発達保育実践政策学センターが、さまざまな分野の研究者が集まって子どもの育ちをトータルな視点で考えていくための拠点となっていくことの必要性をご指摘くださった。

ご講演の中では、現在、子育てや保育・教育の現場で起きていることを多くの事例を挙げながらお話しくださり、今後、考えていくべき課題をご提示くださった。

第一に「だっことおんぶ」に関わる懸念が生じている。元来、だっこやおんぶの仕方は文化の中で伝承されてきているものである。現代、特にこの数年で、おんぶの仕方がわからないという声や、日本文化の中で伝承されてきたおんぶの仕方とは異なるおんぶの形がみられるようになってきている。例えば、現代のおんぶの仕方をみてみると、従来のおんぶと比べて赤ちゃんの頭の位置が下がってきており、赤ちゃんが大人の肩越しに前を覗く形になっていない、赤ちゃんの手足に力が入っておらず、大人の背中に両手両足でしがみつく形になっていないという特徴がみられる。従来、赤ちゃんが大人の肩越しに前を覗ける形になっていることにより、大人と赤ちゃんの共同注視が成立していた可能性があるが、赤ちゃんの頭の位置が下がると、赤ちゃんが大人の背中に阻まれ何も見ることができないか、そこから前を覗こうとすると無理な体勢になってしまう。また、だっこに関しても、だっこをやめてベッドや布団に下ろすと赤ちゃんが泣いてしまうのが怖くて一日中だっこしているといった、親の辛い状況が生じている事例がみられる。だっこやおんぶの仕方などに起因する可能性が考えられる赤ちゃんの姿勢の歪みが生じているケースもある。

第二に「子どもの体験の剥奪」が生じている。現在、子どもの体験としてトータルに考えるのではなく、子どもに不足している力を補う体験を部分的に与えることが生じており、武田(2005)は「サプリメントとしての体験」と呼んでいる。「経済的貧困」が問題視されているが、「体験の貧困」、「関係の貧困」もまた問題である。日本の子どもの約1/6が貧困といわれるが、残りの5/6の子どもたちの育ちも考えていかなければならない。「大人による剥奪・疎外の自覚はあるか?」「子どもにとって必要な体験は何か?」「補うサプリメントとしての体験でよいか?」「子どもの体験を支える環境はどのようなものか?」「私にできることは何か?」を考える必要がある。

現代の子どもの生活に関して、例えば、ベネッセの2013年の調査によると高校生の83.1% が外での遊びやスポーツの時間を「していない」と回答している。これでよいのだろうか?また、従来、子どもは自然の中の雪や泥、葉っぱの中に入る遊びを通して感覚統合を達成してきたと考えられる。現代では、子どもの地域の生活や遊びにおいて子どもの体験を支える支援が必要になっている。自治体等で実践されている「子育て支援」の場では、親子が個別に遊び、隣の親子と関わりを持つことが生じない場合もみられる。親子が他の親子とつながることを支援できる専門性を持った支援者を養成する必要がある。

子どもの体験や他者との関係を保障しようとする活動の実践がある。例えば、「ばあちゃんち」「品川ふれあいの家おばちゃんち」など子ども同士、親同士の関係性を支える子育て支援実践や、子どもの冒険的な遊びを保障する「冒険遊び場」、道を開放し、地域コミュニティを子どもの育つ場にしていこうとする「日本コミュニティ七輪学会」などである。

自治体は、長期的な視点から生活や子育ての場としての地域を守り、支えることに力を注ぐべきである。その際に、その土地の状況やニーズを見立ててその土地なりのプランニングをすることが必要である。子どもの生活の24時間をトータルで見て、どんな力をどこで身につけていけるのかを把握すること、そして、そこに関わる大人の育成をし、様々な部署が連携しながら子どもの育ちを支える施策を実現していくことが重要であろう。

参加者の声

これまでの社会文化の中で当たり前のように伝承されてきた子育てが伝承されなくなってきており、親が他の子育て経験者や専門家とつながり、子育ての実際の様子を見たり体験したりしながら学べる場が必要だと感じました。また、子どもの体験で何が失われてきているのかを見極め、今後の社会の中で生きていくために必要な力とそれを育む体験は何かを議論していく場が必要だと思います。そして、そうした体験を、「サプリメント」としてではなく、子どもの日々の生活の中で実現していける仕組みづくりが早急に求められると思います。

報告:野澤祥子(発達保育実践政策学センター准教授)

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